追悼 森本喜久男さん
2017.7.6
私の師匠の
森本喜久男さんが
7月3日の早朝にカンボジアで
お亡くなりになりました。
闘病生活をされてはいましたが、
4月にカンボジアを訪れた時には、
とてもお元気そうだったので、
未だ信じられない気持ちです。
森本さんは、
ポルポト時代の内戦で途絶えてしまった
カンボジアの絹織物を復活させる活動を
カンボジアの人々ともに行ってきました。
本当の意味で、カンボジアの織物を
蘇らせるため、荒野を開拓し、
桑を植え、養蚕を始め、木を植え、
それらで糸を染め、そして織り・・・
関わる人々の家を築き、
道を拓き、
一つの村ができました。
今や、70人近くのカンボジアの人々が
織物を中心とした生活をしています。
子供たちが走り回り、
学校もできた。
赤ちゃんがどんどん生まれ、
お母さんが子供をハンモックで
お昼寝させながら、織物や染め仕事に
勤しんでいます。
その周りでは、牛がいったり来たり、
鶏が鳴き、犬や猫も安心して暮らしています。
とても幸せな村。
私は2002年、学生の研究フィールドとして
森本さんのところを訪れ、
以来、毎年のように学びを得に、お邪魔していました。
右も左もわからない私に、
森本さんは、調査票の作り方から
丁寧に教えてくださり、
学生時代の卒業制作も
森本さんのおかげで完成したようなものです。
滞在中は、コーヒー片手に、
朝食中に、ランチしながら、
いろんなことを語ってくださいました。
森本さんがここでやっていらっしゃることについて
森本さんの若い頃の様々な経験、
これからやっていきたいこと・・・
学生の私は、きっと、その時に
全てを理解していたわけではないけれど、
森本さんの、織物に対する情熱はもちろんのこと、
これから目指すべき社会のあり方や
幸せに生きるということはどういうことか、
教えてもらったように思います。
私は、そんな「森本イズム」に
おそらく、大きな影響を受けて、
石徹白に移住をし、
石徹白洋品店を始めました。
この地域だからできること、
自然の恵みの中で生きていくこと、
暮らしと仕事を切り分けるのではなく、
その中で幸せな営みを築き上げること・・・
日本の伝統文化を大切にして、
先人らの知恵をいただきながら
それを暮らしの糧にしていくこと・・・
数え切れないくらい多くのことを、
言葉にできないほど大きなことを、
学ばせていただきました。
もっとも大きな学びは、
ものづくりへの情熱と、
そして、あらゆるものに対する愛情です。
森本さんの温かさ、愛そのものが
布に宿っています。
私も森本さんのようなものづくりをしたいし、
森本さんのような愛情あふれる人に
なりたいなといつも思ってきました。
私にとって、森本さんの存在はとても身近で、
何かわからないことがあると
メッセージをして、
すぐにお返事をくださいました。
鉄媒染の作り方は、
あたかも、そこに居てくださるかのように
すぐに教えてくださって、
鉄媒染はまさに「いきもの」だということを
学びました。
当たり前のようにいてくださった
森本さんが、もうここにはいないなんて
本当に信じられないです。
それを思うと、いつでも涙がこぼれます。
生まれるということと、
死んでいくということは
隣り合わせであり、
いつか、誰もが、死に向き合うことは
頭ではわかっているつもりだけれど、
この寂しさ、辛さは
どうしても、どうしようもなりません。
きっと、私以上に、悲しんでいる人が
たくさんたくさんいらっしゃるのだと思います。
森本さんの存在は、
私にとって、当たり前すぎて、
かつ、大きすぎました。
森本さんと出会えたことで
私はここまでやってくることができました。
森本さんはここ数年、
日本の状況を憂いていました。
日本の若者に何かできることはないか・・・
とお話されていました。
私が、何かになれたわけではないけれど
森本さんがカンボジアで
実践されてきたことを
ここ石徹白で、新しい形として
生み出していきたいと思います。
森本さんに頂いた学びは、
私の中に深く強く濃く刻まれていて、
私ができることは、
それを、確実に、
一つ一つ、形にし、
人に伝え、より良い社会を生み出すことに
尽力していくことなのかなと
森本さんのことを思いながら
考えています。
どうかどうか、
安らかに、お眠りください。
そして、いつまでも私たちのことを
見守っていてください。
大好きな尊敬する森本さんへ。
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石徹白洋品店
〒501-5231 岐阜県郡上市白鳥町石徹白65-18
TEL:0575-86-3360
© Itoshiro Yohinten.