石徹白洋品店のビジョンとは(4:最終回)
2019.7.14
ビジョンを描くことの大切さを感じ、
それを実行するにあたっての経緯を
書きました。
そして、
そのビジョンとは。
目指すことの大きな柱は3つです。
その一つは、
「たつけを普及する」です。
書きましたので、ご一読ください。
そして、柱の2つ目は「土から始まる布作り」を実践する場作りです。
これは、「石徹白洋品店のビジョンとは(3)」で
お伝えしました。
今日は、3つ目の柱です。
それは、「地域で生きること」です。
私は、2007年に石徹白に初めて訪れました。
その時のことは、今もよく覚えています。
山の奥なのに開けた気持ちのいい青空、
整えられ花がたくさん植えられている綺麗な家々、
集落のあちこちに流れる澄み切った川の水
その上を吹き抜ける爽やかな風、
そして、よくしゃべり、よく笑いあう石徹白の人たち。
目的は、小水力発電の設置という事業で、
石徹白地域の人々の組織するNPOのみなさんが
受け入れてくださいました。
その後、実際に石徹白で小水力発電の導入事業を
始めたわけですが(なんと、電気のことはちんぷんかんぷんの
文系の私が担当者でした!)
石徹白のみなさんに本当によくしていただきました。
畑や田んぼをやりたいと言ったら、
ここを使えと準備してくださり、
手伝っていただき、ナスやキュウリを植え、
手植え、手刈りで米を育て、ハサ掛けまで
教えてもらいました。
小さな別荘を借りてそこに住まい、
冬も2輪駆動の車で通いました。
(一度、雪道にはまってしまい、
地域の方達に助けに来てもらったこともありました)
東京で暮らしていた頃、
隣の人の顔も見えず、
不安な気持ちでいたことを思い出し、
なんて安心感があるところなんだろう、
こういういところで、暮らして、子育てしていけたら
私はなんて幸せなんだろう!と
そのときは、子供もまだいなかったけれど、
強く思いました。
その後、地域で楽しく子育てをしているお母さん世代の人たちの
グループに入れてもらって、様々な活動を一緒に
させてもらって、さらにこの地域で生きていくことを
具体的に感じ、ここに移住したい!と家を探しました。
しかし、ここに住むなら、それまでやってきた仕事
(PRやライターの仕事)ではなかなか生活は難しいと思い、
雪深いことで冬の間に手仕事をする人が多かったり、
未だ縫製工場が残っていることや、
私自身がアトピーで服に悩んだ経験があること、など
服を作ることを、この石徹白でしてみたいと思い始めました。
毎日着る服は、その人を表現する最たるものなのに、
作られている背景や関わっている人の思いが見えづらく、
遠いところの人に任せてしまっていて
ジレンマを感じていた頃でもありました。
石徹白に移住する前に2年間、
苦手なことでしたが(家庭科の成績は悪く、
ミシンを触ると壊すタイプでした!)
服飾の専門学校に2年間通い、
一通りの勉強を終えたところで、
石徹白に移住をしました。2011年秋のことです。
ちょうど、家がみつかり、改修が終わったタイミングでした。
移住後、冬の間かけて、石徹白洋品店の準備をして、
2012年5月にオープンしました。
実は、この準備をしている時に、
第一子を妊娠していて、
オープン時は懐妊後数ヶ月、
初めての夏は妊婦で過ごして、
その年の12月に初めての出産を経験しました。
つまり、石徹白洋品店は始めた当初から、
子供とずっと一緒で、その後も2015年の次男出産、
2017年の三男出産と続いていきました。
(現在、三男は1歳9ヶ月です)
このような中でお店を続けてこられたのは、
地域の人たちが子育てで悩んだ時に励ましてくださったり、
保育園の先生たちが暖かく見守ってくださったりしたからで
(夫のサポートが一番ですが!)
さらに、周りには自然が溢れていて、何かあると
子供と外に出れば、お互いの気持ちが落ち着くという
最高の子育て環境だったからだと思っています。
家の前に池があり、畑があり、
食べられる木の実がなって、
鳥が飛んで、時には獣もやってくる。
周りの人たちは遠目に、遊ぶ子供達を見守ってくださる。
安心して、この土地に抱かれて、
子育てができるのは、本当に幸運なことだと思います。
私は、やはり、この素晴らしい石徹白という地域が
これからも続いていってほしいと思うし、
私のような幸せな気持ちで、子育てをしたい、という人が
ここに来てくれるならば、
そうできるように、できる限りのサポートをしたいと
私がしてもらったことを思うと、より強く思うのです。
だから、石徹白洋品店が、そういう人を受け入れる場に
まずはなることが大切なことと考えています。
さらに、石徹白洋品店では、地域の民話を掘り起こし、
絵本を作る活動もしていますが、
そういった、この地域の素晴らしさを伝えていくことも
続けていきたいと思っています。
(それはもしかしたら、今後、
私の個人的活動になるかもしれませんが・・・)
(石徹白公民館として行っている
石徹白地域の聞き書にも関わらせてもらっています)
私自身がもともと文化人類学の勉強をしていて、
民俗学的なことに興味があることが大きいのですが、
やはり、古老らが代々伝えてきたことが、
時代の変化の中で伝わらなくなってきている。
それを継承して、子供に伝えていくことで、
子供達が地域により愛着を深くしてもらえたらと思うのです。
石徹白洋品店は、
石徹白という地域が活動のベースであり、
私の心を置く場であり、
そこからのスタートであること、
ここからできることを、細くとも続けていくこと
それが結果として、
石徹白にとっての、何か一つになれればと思っています。
それが、この「地域で生きること」。
これが石徹白洋品店の3本目の柱と考えています。
長くなってしまいました。
が、
私がこれまで石徹白に住んできた人々に
していただいた、教えていただいたたくさんのことを
その方達にそのまま恩返しすることは
なかなかできなくて(もう亡くなってしまった方もいる)
私はしていただいたたくさんのことを
「恩送り」として、次の人たちに、ここでしていきたいです。
それが、石徹白に住まわせてもらっている私の、
少なくとも日々できることの一つかなと思っています。
この循環が続くことが、全体としてのよりよい方向に
繋がることと信じています。
(保育園の子供たちと浄安杉)
石徹白洋品店のビジョンについて、
4回に分けて書いてきました。
まだ整理しきれていないことも多いですが、
何かと変化の多い今、
ビジョンを改めて描き、
仲間と共有すること、
石徹白洋品店に興味を持ってくださる方に
お伝えすることが、私自身にとって、
次のステップを目指すに当たって
大切と思い、こうして考えてきました。
常に変わっていくことも多いと思いますが、
今の時点での私の考えるビジョンを3つ
言葉にすることができて嬉しいです。
長くなりましたが、読んでくださって
ありがとうございます。
引き続き、石徹白洋品店を
どうぞよろしくお願いします。
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石徹白洋品店
〒501-5231 岐阜県郡上市白鳥町石徹白65-18
TEL:0575-86-3360
© Itoshiro Yohinten.