石徹白の「衣」について学ぶ2日間
2017.7.30
7月29日、30日は1泊2日で、
石徹白の「衣」について
学ぶ催しを行いました。
1日目は、70代のTさんに
彼のおばあさんが機織りをされていて
大切に保管されていた
大麻の糸や布などを
見せていただいて、
その生産工程や、
どんな服を作って、
どんな風に着ていたのかを
伺いました。
Tさんには、私は何度も
お話を伺ってきましたが、
参加者の皆さんからの質問によって
知らないことがたくさん
出てくる出てくる・・・
今回、初めて「からむし」と
大麻を混ぜていたということで、
からむしの草を持ってきてくださり
見せてくださいました。
背丈以上に、田んぼのボタ(畦)で
育った丈夫なからむし。
確かにわざわざ育てなくても
こんなに大きく育つ立派な
繊維になりそうな植物があったら
使ってみよう、と思うかもしれません。
衣服にとどまらず、履物など、
暮らしの道具に至るまで・・・
本当にたくさんのことを教えてくださいました。
次の日は、朝、白山中居神社にお参りしました。
禰宜さんがいてくださって、
思いがけず、正式参拝もさせていただきました。
石徹白は、やはり、神様に仕える人々が
暮らしていた土地・・・。
神社の清々しい空気と、
そこを大切にされている人の
気持ちで癒されました。
こんなに近くに素晴らしい場所があり
いつも感謝しています。
参加者の皆さんも、
神社の雰囲気に浸って
いい時間を過ごしてくださったのでは
ないでしょうか。
その後は、80代のSさんのお家に。
Sさんは、私にたつけの作り方を
教えてくださった方です。
いつも、本当のおばあちゃんのように
私の子供たちを可愛がり、
受け入れてくださいます。
Sさんからは、「たつけ」や「はかま」について
お話を伺いました。
実際に、彼女が3人目の子供を産む前までは、
「たつけ」を自分で仕立てて着ていたそうです。
「たつけ」を履いていなければ
仕事をしないように見られて
お嫁に行きにくい感じがしたということ、
冬は「はかま」を履いて、
下にたくさん重ねばきして
温かくしていたということ、
若い子は、2つ絣、3つ絣を着て
年をとると、小柄の絣を着ていたということ・・・
田植えは祭りで賑わしかったこと・・・
彼女が自身で経験してきた
あらゆる想い出話は、
彼女にとっては、懐かしいことかもしれないけれど
私にとっては、とても新鮮で
暮らしに取り入れていきたいと
思うことばかりでした。
いつも気さくに、
いろんなことを
語ってくださるSさん、
Tさんが、私は大好きです。
地域外から来てくださった
参加者の皆さんに、
お二人のお話を聞いていただくことが
できて、とても幸せな時間でした。
(石徹白の野良着はほとんど
藍染だったので、
藍染体験もしました!)
本を読んで学んだり、
テレビでみて知識を得ることも
できるけれど、
私は、こうした直接受けられる
一次情報をもっとも大切に
思っています。
そこには、語る人の表情とか、雰囲気、
どんな感情が背景にあったのか、
ということが鮮明に分かる。
文字や画面の向こうにあるものは
なかなか想像ができないし、
直接的に受け取ることはできません。
だから、私は、石徹白のおじいさん、
おばあさんたちがお元気なうちに
今のうちに、なるべくたくさんお話をして、
ここで生きてきたことの彼らの思いを
受け継いでいきたいと思うのです。
そういう意味で、今回、初めて
この催しができて、
一人でも多くの方に
生の声を聞いていただくことが
できたのが、本当に嬉しかったです。
いとしろカレッジと共催させて
いただいたことで、
石徹白洋品店だけでは実現しないことが
叶いました。
案内人のまりっぺ、どうもありがとう。
そして、参加してくださった全ての皆さんに、
お話してくださったTさん、Sさんに
この偶然の、しかし、必然の出会いの2日間に
心から感謝して。
良き2日間でした。
(2日間、ハードに子守をしてくれた夫にも、
ありがとう)
↑
石徹白洋品店
〒501-5231 岐阜県郡上市白鳥町石徹白65-18
TEL:0575-86-3360
© Itoshiro Yohinten.